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WHITE PAPER · 2026.08

日本の重工メーカーはいま何を選ぶべきか

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taiziii Research
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W H I T E P A P E R

2 0 2 6 年8 月 重工業のDX 日本の重工メーカーは いま何を選ぶべきか Heavy Industry DX in Japan — Strategic Choices for MHI, KHI, IHI, and the wider machinery ecosystem in the age of geopolitical tension, labor shortage, and global prime competition

P U B L I S H E D B Y

taiziii Research

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目次 ─ TABLE OF CONTENTS Executive Summary 5つのキーメッセージ 01 Why Now ― 重工業を取り巻く三重の圧力 02 重工業界の構造的特徴 ― なぜ汎用DXでは届かないのか 03 重工業DXの全体像 ― 5つの効きどころ 04 設計DX ― 過去事例をデータ蓄積し、競争力の源泉にする 05 製造現場DX ― 「人の動き」を組織の資産に変える 06 アフターサービスDX ― 「売って20年」を収益に変える 07 本社・経営機能DX ― 「事業横断の見通し」をデータで貫く 08 サプライチェーンDX ― 「ティア2/3」と「経済安保」を貫く 09 結論・戦略示唆 ― 重工業のDXは、いま何を選ぶべきか

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エグゼクティブ・サマリー

5つのキーメッセージ 日本の重工業は、過去最大級のバックログを抱える一方、製造業全体の85%以上が能力開発・人材育成 の課題を抱え、製造業人口は20年で約100万人減少した。「需要は溢れているが、応える人がいない」 ──この乖離が、重工業DXの出発点である。さらに海外プライム(Boeing、Airbus、Rolls-Royce、 Lockheed Martin)はデジタルスレッド、生成AI、Power-by-the-Hour、インテグレーター機能で数年単 位の実装経験を蓄積しており、日本企業が長期協業を組むうえで「DXの進捗」は契約交渉のテーブルに 乗る評価項目になりつつある。

1 重工業のDXは、もはや「経費削減のためのIT投資」ではなく、事業を続けるため、 事業を変えるための経営戦略の中核である 重工業の三重の圧力──Customer(受注は溢れているが応える生産能力が物理的に追いつかない)、 Company(製造業人口の構造的減少、熟練技能継承の危機)、Competitor(海外プライムによるデジ タルスレッド・生成AI・コト売り化での先行)──は、いずれも単独でDXの必要性を生み出す圧力であ る。三菱重工業のデジタルイノベーション本部長・田崎陽一氏が「痛感するのは人手不足」と語るよう に、需要溢れの中での人手不足は、DXに「コスト削減」とは異なる意味を与える。重工業DXは、事業 継続と事業変革の両方を支える経営戦略の中核に位置づけ直すべきテーマとなった。

2 重工各社はDXへの着手は進めており、今後は如何に経営インパクトへと繋げるかが 重要となってくる 三菱重工は「ΣSynX」を旗印に経済産業省の「DX銘柄2025」に選定され、Azure上でSAP S/4HANAを 稼働、kintone内製化で52部門・3,000人超のユーザーを獲得、2024年9月にはグループ共通の直接材調 達基盤「eBuyerBrains」を稼働させた。IHIは「ILIPS」で300台以上のターボ機器を遠隔監視し、2024 年6月にはEcoVadisと契約してサプライヤーリスク評価体制を整備した。川崎重工は2023年4月にDX戦 略本部を本社統合し、「DX」を超える次世代キーワードとして「IX(インテリジェンス・トランスフォ ーメーション)」を提唱している。一方、日本の製造業全体ではDX着手企業が88%に達した一方、競争 力強化に踏み込めているのはわずか3%にとどまる。三菱重工パワーのTOMONI HUBが10年以上の積み 重ねを経て、ようやくGTCCプラントの計画外停止を年間2〜4日削減し、年間数億円規模の経済価値を 生み始めたという事実は、「DXに着手」から「DXが効く」までの距離の長さと、ここから5年が経営イ ンパクトへの転換の正念場であることを示している。

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3 重工業DXにおいては、特に設計DX・製造現場DX・アフターサービスDX・本社/経営 機能DX・サプライチェーンDXの5領域がカギとなる 重工業の構造的特徴(一品もの・MRO収益・巨大BOM・熟練技能依存・広域サプライチェーン)から 逆算すると、DXが本当に効く領域は5つに集約される。設計DX(同じものを毎回作っている問題を解く ― 3D化・PLM・生成AI・デジタルスレッド)、製造現場DX(人の動きを組織の資産に変える ― 動画マ ニュアル・AI外観検査・現場アプリ内製化)、アフターサービスDX(売って20年を収益に変える ― 遠 隔監視・予知保全・コト売り化)、本社/経営機能DX(事業横断の見通しをデータで貫く ― ERP刷新・ データ分析基盤・DX人材育成)、サプライチェーンDX(ティア2/3と経済安保を貫く ― 調達基盤刷 新・政策枠組み活用・サプライヤー強靭化)。これら5領域は独立しているように見えるが、実はデー タを介して相互に連結する。バラバラに投資すると効果が頭打ちになる一方、貫くデータ基盤を設計で きれば投資効率は飛躍的に高まる。

4 重工業DXの成功には、システム選定だけでなく、標準化/個別化の線引きと組織能力 の同時整備等が必要となる 5領域すべてで、ツール導入だけでは成果が出ないことが繰り返し確認された。SAP S/4HANA、PLM、 生成AI、AI外観検査、デジタルツイン──いずれも導入企業は多いが、事業成果に結びつけている企業 は少ない。重工業DXの成否を分ける本質的論点は4つに集約される。(1) 「DXに着手」と「DXが効く」 の距離:ツール導入と事業成果の間には5〜10年の組織変革が必要となる。(2) 標準化と個別化の線引 き:会計・調達といった非競争領域は徹底標準化、販売・アフターサービス・現場改善といった競争領 域は事業部主導──このメリハリの設計が、ERP刷新もデータ基盤もサプライチェーンDXも成否を決め る。(3) 技術と組織能力の同時整備:三菱重工のDI人材認定制度、IHIのスキルベルト制度、川崎重工の DX戦略本部統合は、いずれもこの問題意識からの取り組みである。(4) 政策・業界エコシステムとの連 動:経済安全保障推進法、防衛生産基盤強化法、経産省のサプライチェーン現代化検討会は、もはや自 社DX戦略の周辺事情ではなく、戦略そのものの一部となった。

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5 重工メーカー各社は、トップダウンでのDX戦略の策定と、ボトムアップでのクイッ クウィンDXの両輪を回していくことが肝要 重工業のDXは、経営層が示す方針と、現場で実際に動くプロジェクトの両方が噛み合って初めて前に進 む。トップダウン側で求められるのは、5領域から自社の「効きどころ」を選んで3年計画で焦点化する こと、標準化と個別化の線引きを経営の権威で明示すること、DX人材を事業部主導で育てる組織設計を 行うこと、そして経済安保推進法・防衛生産基盤強化法といった政策枠組みを戦略的に活用することで ある。自社にとっての効きどころは、自社の事業ポートフォリオと組織能力から逆算するしかない。

一方、ボトムアップ側で求められるのが「クイックウィンDX」である。重工業のような巨大組織で、 いきなり全社規模・数十億円規模のプロジェクトを立ち上げると、要件定義の遅延・現場の反発・ROI 測定の困難という3重苦に陥る。最初の一歩は5,000万円規模・1工場or1部門レベル から始め、現場の 業務改善アプリ内製化、動画マニュアル、AI外観検査、現場ナレッジの形式知化といった具体的な実装 で短期的な成功体験を作る。トップダウン戦略とボトムアップ実装の両輪を回し続けることこそが、重 工業DXを「着手」から「効く」へ移行させる唯一の道筋である。

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01 Why Now

重工業を取り巻く三重の圧力

K E Y F I N D I N G S

顧客・自社・競合の3方向から、重工業は同時並行的に圧力を受けている 「需要は溢れているが、応える人がいない」というのが重工業DXの出発点 重工メーカー大手3社(三菱重工、川崎重工、IHI)はいずれも経営戦略の中核にDXを位置づけ、相 応の成果も出始めている 一方、日本の製造業全体では「DX着手企業は88%」だが「競争力強化に踏み込めているのは3%」 にとどまる 「DXを掲げる」と「DXが効く」の間には、業界特有の論点が横たわっている

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1.1 三重の圧力 ― 3Cで見る重工業の現在地

重工業(本書では三菱重工業、川崎重工業、IHI、住友重機械工業を中心とする総合重機メーカー、およ びこれに連なる重電・産業機械メーカー群を指す)は、Customer(顧客)・Company(自社)・ Competitor(競合)の3方向で、いま同時に強い圧力を受けている。

図表1-1:重工業を取り巻く三重の圧力 圧力の方向 中身 主要事実 Customer 需要側 受注は溢れている 防衛装備品の輸出規制緩和、エネルギー転換、データセン ター電源需要、航空機エンジンMRO拡大。重工3社の受注 残はいずれも年間売上の数年分。三菱重工2026年度売上目 標5.7兆円。生産能力が物理的に追いつかない Company 自社側 人と知識が足りない 製造業人口は2004年の約1,150万人から2024年には約1,046 万人へ、20年で約100万人減少。製造業の85%以上が「能 力開発・人材育成」の課題を抱え、最多の課題は「指導す る人材の不足」 Competitor 競合側 海外プライムは先を行く Boeing:70+の生成AIアプリ社内実装、デジタルツインで 初回品質40%改善/Rolls-Royce TotalCare:8,000機監 視、市場300億ドル/Airbus bionic partition:ジェネレー ティブデザインで45%軽量化 Customer ― 需要側の圧力:受注は溢れている 防衛装備品の輸出規制緩和、エネルギー転換に伴うガスタービン・原子力の需要回復、データセンター 向け電源需要の急増、航空機エンジンのアフターマーケット拡大。重工業界は2020年代後半に入り、過 去最大規模の受注残を抱える状態にある。三菱重工業の2024事業計画では2026年度に売上高5.7兆円とい う挑戦的な目標が掲げられ、事業利益は2024年3月期の2,825億円から4,500億円への引き上げを狙う。バ ックログは年間売上高の数倍規模に積み上がっており、重工3社の受注残はいずれも年間売上高の数年分 に達している。

問題は、この需要に応える生産能力が物理的に追いついていないことだ。設備の増強だけでは間に合わ ず、いかにして「同じ設備で、より多くを、より早く」生産するかが経営の最大の論点になっている。

Company ― 供給側の圧力:人が足りない、知識が消える 国の白書はここ数年、製造業の人材問題を一段強い言葉で書くようになった。2025年版ものづくり白書 は、製造業の85%以上が「能力開発・人材育成に関する課題がある」と回答し、最多の課題は「指導す る人材の不足」であると指摘する。技能継承の取り組みは9割の企業で行われているが、その実態は延長 雇用や嘱託再雇用といった一時的な措置に依存しており、暗黙知を体系的に次世代へ伝える仕組みづくり は追いついていない。

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三菱重工業のデジタルイノベーション本部長・田崎陽一氏は、2025年のBE:YONDセッションで自社の課 題感をこう表現した。国内外の社会情勢の変化、エネルギー転換、国際関係の悪化、物流・エネルギー 問題といった課題に直面するなかで、痛感するのは人手不足であると。需要が溢れているなかでの人手不 足は、製造業のDXに固有の意味を与える。すなわちDXは「コスト削減のため」ではなく、「事業を回し 続けるため」に必要になっている。

Competitor ― 競争側の圧力:海外プライムは一歩先を行く Boeing、Airbus、Lockheed Martin、Pratt & Whitney、Rolls-Royceといった海外プライムは、デジタル スレッド(設計・製造・MROを横断するデータ統合)、AIによるエンジン健全性モニタリング、生成AIに よる製品開発加速といった領域で、すでに数年単位の実装経験を蓄積している。

加えて、足元では生成AIの製造業実装が一気に進みつつある。ものづくり白書2025は、マッキンゼーの 試算として、製造業における生成AI活用で年間2,750億〜4,600億ドル(約40兆〜67兆円)の付加価値創 出可能性を引用した。日本の重工メーカーが海外プライムと長期協業を組んでいくうえで、「DXの進 捗」は契約交渉のテーブルに乗る評価項目になりつつある。

1.2 重工3社が掲げるDX ― 各社のスタンスと取り組み

3社はいずれも、DXを単なる業務効率化ではなく、経営戦略の中核に据えている。

三菱重工業 ― 「ΣSynX」を全社共通の旗印に 三菱重工は2022年にデジタルイノベーション本部を設立し、自律化・知能化ソリューションのコンセプ ト「ΣSynX(シグマシンクス)」を全社共通の旗印として整備してきた。2025年5月、経済産業省・東京 証券取引所・IPAが共同選定する「DX銘柄2025」に選定。同社は2024年にも「DXグランプリ」を初受賞 しており、2年連続での評価となった。

選定にあたって経済産業省は、米国アフターサービス事業でノーコード・ローコードツールとアジャイル 開発を適用し、1,000以上のアプリをグローバルに提供している事例を「分かりやすい」と評価してい る。実際、三菱重工のDX推進部門は2020年からkintoneによる業務アプリの内製化を進めており、2024 年9月時点で開発アプリ数は963、52部門・3,000人超のユーザーが活用するに至っている。

田崎本部長の発言で印象的なのは、ERP導入における設計思想である。標準化は強制せず、会計や調達と いった非競争領域に絞って実施し、販売・アフターサービス・IoT・サプライチェーンといった競争領域 は事業部門の主体性に委ねる。汎用ERPで一律に締め上げず、競争領域は事業部主導で変革させるとい う、極めて重工業らしい設計である。

そして2025年12月には、経営方針を「Innovative Total Optimization(ITO)」と再定義し、DI人材認定 制度(BASIC・ADVANCED・MASTERの3段階)を含む人材育成プログラムを本格展開した。DXは「ツー ル導入の話」から「人材と組織の話」へと、軸足を確実に移しつつある。

川崎重工業 ― 「IX(インテリジェンス・トランスフォーメーション)」への進化 川崎重工は2023年4月に各カンパニーの情報システム部門を本社に統合してDX戦略本部を立ち上げ、 「Kawasaki DX」を全社推進している。2025年10月発行の「Kawasaki Report 2025」では、技術・知

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財・DX戦略を担当役員メッセージとして1章を割いて掲載している。

ここで注目したいのは、DX戦略担当の中谷浩・代表取締役副社長執行役員(2024年4月から技術・生 産・調達・TQM・DX戦略担当)の問題意識である。中谷氏は2025年初頭のGartner ITシンポジウム講演 で、自社の事業変革を「『産業イノベーション』とも呼べる」と表現し、DXを越える概念として 「イン テリジェンス・トランスフォーメーション(IX)」 を提唱した。同氏は過去の延長線上で同じ手法を続 けるだけでは現代のニーズに応えられないと述べ、産業界全体での変革の必要性を強調している。

「DX」という言葉そのものが手垢にまみれつつあるなか、川崎重工は次のキーワードを既に模索し始め ている、と読める。

IHI ― 「モノ売りからコト売りへ」をDXで実装する IHIは2022年・2023年と連続して経済産業省「DX銘柄」に選定された、いわば重工DXの先行ランナーで ある。同社の戦略の核は「モノ売り」から「コト売り」への転換によるライフサイクルビジネス(LCB) の拡大であり、これを支えるIoTプラットフォーム「ILIPS(IHI group Lifecycle Partner System)」によ って、製品・設備のデータを継続的に収集・分析する基盤を構築してきた。

2025年版IHI統合報告書では、DX戦略を統括する福岡千枝・常務執行役員 高度情報マネジメント統括本 部長が、デジタル基盤の高度化と大胆な経営資源シフトを通じた持続的な成長を方針として掲げている。

事業特性に応じて「インデント(橋梁・大型インフラ)」「準量産(産業機械)」「量産(ジェットエン ジン等)」の3つに分類し、それぞれの特性に合わせた業務プロセス改革を進めるという、極めて重工業 らしい設計が特徴である。

実装面では、航空・宇宙・防衛事業領域でBIツールTableauの導入と、データ活用人材を育成する「スキ ルベルト制度」を展開するなど、地道なオペレーション改革を積み上げている。

1.3 ただし、日本全体ではまだ「足腰強化」の段階

ここまで見てきた3社は、いずれも経営トップが旗を振り、専門組織を設け、相応の予算と人材を投下し ている。重工DXの「先頭集団」がどこにいるか、輪郭ははっきりしている。

問題は、その先頭集団と、日本の製造業全体との間にある距離である。

2025年版中小企業白書によれば、2023年度には30%の企業がDXに取り組めていなかったが、2024年度に は12%まで減少し、88%の企業が何らかのDXに着手している。しかし、52%はデジタルツールを利用し た業務環境移行に留まっており、競争力の強化に取り組めている企業は、わずか3%にすぎない。

IPAの「DX動向2025」は、日米独3カ国比較を初めて実施し、日本企業のDXの特徴を「内向き・部分最 適」と表現した。社内の一部業務の効率化に閉じてしまい、外部の顧客・サプライヤー・パートナーとつ ながった全体最適には至っていない、ということだ。

マッキンゼーは数年来同じ趣旨の指摘を繰り返している。日本企業のDXは「一部の業務のデジタル化」 「一部の部署の生産性向上」に留まり、売上高の成長や新たなビジネスモデルへの転換には十分つながっ ていない、と。

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つまり、「DXに着手した企業の割合」は急速に増えている一方、「DXが事業に効いている企業の割合」 は伸び悩んでいる。この乖離は、重工業を含む製造業全体に通底する論点である。

なぜ「効く」DXに到達できないのか 理由は単純ではないが、本書が重工業に焦点を絞って分析を進めるなかで、いくつかの構造的な要因が浮 かび上がる。詳細は次章以降に譲るが、輪郭だけ先取りすると、以下の通りである。

重工業は一品もの・少量多品種の生産が中心で、標準化と効率化を志向する汎用的なDX手法では届か ない領域が大きい 売上の相当部分が長期サービス事業(MRO)であり、デジタルツインや予知保全といった重工業特有 のDXテーマが効いてくる 製品1点あたり数万点規模のBOMを抱えるため、設計-製造-保守をつなぐデータ統合の難度が桁違い に高い そして何より、競争力の源泉が熟練技能と暗黙知にあり、これを形式知化・データ化する技術がまだ 業界全体で確立途上にある ものづくり白書2025がDXを「効率化の道具ではなく、企業変革のエンジンとして捉えるべき」と位置づ けたのは、まさにこうした文脈の上でのことだ。AIの活用も、もはや「人が足りないから導入する」だけ でなく、「技術を絶やさないために導入する」段階に入りつつある。

重工業のDXは、汎用的なIT投資論ではなく、業界固有の構造を踏まえた論点設計が求められる。本書は 次章でその構造的特徴を整理し、Ch.3で重工業DXの全体像を提示する。

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02 重工業界の構造的特徴

なぜ汎用DXでは届かないのか

K E Y F I N D I N G S

重工業の生産現場は 一品もの・少量多品種・長納期 が基本で、自動車・電機のような大量生産型 のDX手法が当てはまらない 売上の相当部分を サービス事業(MRO・アフターマーケット) が占め、製品を「売って終わり」 ではなく「売ってからが本番」 製品1点あたり 数万点規模のBOM を抱え、設計-製造-調達-保守を貫くデータ統合の難度が桁違い に高い 熟練技能と暗黙知が競争力の源泉であり、これは人に紐づくナレッジとして企業内に分散している サプライチェーンは広く深く、規制対応(防衛・原子力・航空)の制約により、クラウドSaaSの自 由な導入が効かない領域も少なくない

2.1 一品もの・少量多品種・長納期

重工メーカーが手掛ける製品は、ガスタービン、原子力プラント、艦艇、航空エンジン、橋梁、製鉄機 械、ロケットなど、いずれも1基あたりの単価が数十億〜数千億円規模で、年間生産数は数基〜数十基と いう世界である。同じ品番を大量に流す自動車・家電の生産方式とは、根本的に経済原理が異なる。

これは設計段階から如実に表れる。受注ごとに顧客仕様に合わせた変更(カスタマイゼーション)が大 量に発生し、過去の設計資産の再利用と、今回案件固有の新規設計が複雑に絡み合う。結果として、「設 計のたびに似たような図面を作っている」「過去のトラブル事例を探すのに半日かかる」といった非効率 が、設計現場の日常風景となっている。

加えて納期は数年単位に及び、受注から納入までの間に為替・原材料コスト・規制環境が大きく動く。設 計-製造-据付-試運転-引渡までを通じた長納期マネジメントそのものが、業界固有の論点を生む。

2.2 サービス収益の重要性 ― 「売って終わり」ではない事業構造

ガスタービン、航空エンジン、製鉄機械、舶用エンジンといった重工製品は、製品寿命が20〜40年に及 び、運用期間中の保守・部品供給・改修・モニタリングが、ライフサイクル全体の収益の半分以上を占め ることも珍しくない。海外プライムの代表例として、Rolls-Royceの民間航空エンジン事業における 「Power-by-the-Hour(飛行時間あたり課金)」モデルは、すでに業界標準となっている。

IHIが中期経営計画で繰り返し強調する「モノ売り」から「コト売り」への転換によるライフサイクルビ ジネス(LCB)の拡大は、まさにこの構造的事実を経営戦略として明示化したものである。三菱重工業も 2024事業計画でDX推進によるサービス事業拡大を柱に据え、遠隔監視・省人化・予知保全といったO&M 高度化を進めている。

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ここで重要なのは、サービス事業のDXは、製品の販売時点では終わらず、製品の稼働中ずっと続くとい うことである。納入後20年たった製品から、いまもデータが上がってくる。このデータをどう蓄積し、活 用し、顧客への提供価値に変換するかが、サービス収益の競争力を決める。

2.3 巨大BOMと複雑な設計

重工製品の部品点数は途方もない。航空機エンジン1基で数万点、艦艇1隻で数十万〜100万点規模の BOMを抱える。設計図面は数千枚、関連ドキュメント(仕様書、解析結果、検査記録、認証書類)は数 万件に及ぶ。これらを設計部門・製造部門・調達部門・保守部門が、それぞれの立場で参照・更新す る。

製造業向けに多くのPLM(製品ライフサイクル管理)ソリューションが存在するが、重工業の現場では 「導入したが使いこなせない」「結局Excel管理に戻った」というケースも少なくない。理由は、汎用 PLMが想定する標準的なBOM構造と、重工メーカー固有の設計手順・組織構造・受注プロセスとの間 に、しばしば大きなギャップがあるからである。

設計-製造-保守をつなぐデータ統合の難度は、業界平均と比較して桁違いに高い。これは弱点であると同 時に、ここを解いた企業は競争優位を獲得しやすい領域でもある。

2.4 熟練技能と暗黙知への依存

ガスタービンの精密加工、艦艇の溶接、航空エンジン部品の検査──いずれも、最終的な品質を決めるの は熟練技能工の判断である。「この溶接ビードはOKか、NGか」「この機械加工面の仕上がりは合格か」 といった判定は、文章化・数値化が極めて困難な暗黙知として、各企業に蓄積されている。

問題は、その担い手が世代交代の局面に入っていることである。2025年版ものづくり白書は、製造業の 85%以上が「能力開発・人材育成に関する課題がある」と回答し、最多の課題は「指導する人材の不 足」であると指摘した。技能継承の取り組みは9割の企業で行われているが、その多くは延長雇用や嘱託 再雇用といった一時的な措置に依存しており、暗黙知を体系的に次世代へ伝える仕組みづくりは追いつい ていない。

三菱重工業のデジタルイノベーション本部長・田崎陽一氏は2025年に、自社のDXの目指す姿として、匠 の技術を持つ技術者のノウハウが、AIによってデータ化され蓄積される世界の実現が現実化してきたと語 っている。熟練技能のデジタル化は、重工業のDXのなかでも最も固有性が高く、かつ最も大きなリター ンが見込める領域である。

2.5 サプライチェーンの広さと規制対応

重工製品は、ティア1の主要協力企業、ティア2の専門加工業者、ティア3の素材・部品メーカーまで、幾 重にも重なる広域なサプライチェーンの上に成り立っている。航空エンジン1基には、世界中の数百〜数 千の事業者が関わる。完成品メーカーが自社の生産だけを最適化しても、サプライチェーン全体での納期 短縮や品質向上には届かない。

加えて、防衛・原子力・航空分野では、情報保全規制(セキュリティ・クリアランス、輸出管理) が厳 格に課される。クラウドSaaSの安易な導入はできず、オンプレミス・専用回線・特定ベンダー認定とい

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う制約下でDXを進める必要がある。三菱重工業の田崎氏がERP導入では標準化は強制せず、会計や調達 といった非競争領域に絞って実施していると述べているのも、こうした業界特性を踏まえた現実的な解で ある。

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03 重工業DXの全体像

5つの効きどころ

K E Y F I N D I N G S

重工業の構造的特徴から逆算すると、DXが本当に効く領域は 5つ に集約できる 5領域は 設計DX、製造現場DX、アフターサービスDX、本社・経営機能DX、サプライチェーンDX 5領域はバリューチェーン軸(上流〜下流)と組織レイヤー軸(経営〜現場)の2軸でマッピングで きる これらは独立した取り組みに見えるが、実際にはデータを介して相互に連結しており、断片的な投 資では効果が出にくい 投資優先度は企業ごとに異なるが、本書は「どこから手を付けるか」を判断するための共通フレー ムを提示する

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3.1 構造的特徴と効きどころの対応関係

前章で整理した重工業の構造的特徴を、DXがどう解くかという観点で並べ直すと、自然に5つの領域が浮 かび上がる。一品もの・複雑設計・巨大BOMには設計DX、熟練技能・暗黙知依存には製造現場DX、 MRO中心・長期サービスにはアフターサービスDX、多事業構造・本社統合には本社・経営機能DX、広域 サプライチェーン・規制対応にはサプライチェーンDXが対応する。図表3-1は、これら5領域をバリュー チェーン軸(設計→製造→MRO)と組織レイヤー軸(経営〜現場)の2軸でマッピングしたものである。

それぞれの領域には、汎用的なDXツールでは届かない、業界固有の論点が存在する。本書のCh.4以降 で、各領域を順に深掘りしていく。

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3.2 5領域の概要

① 設計DX(Ch.4) 一品もの設計の効率化、PLM導入、設計資産の再利用、生成AIによる設計支援、設計-製造データ連携。

重工業では設計部門が大規模かつ高度であり、ここでの生産性向上のインパクトは大きい。同時に、過去 のドキュメントが散在し最新化されていないという「設計ナレッジの可視化」問題が深刻で、近年は文書 検索AIや暗黙知抽出ツールへの関心が高まっている。

② 製造現場DX(Ch.5) 暗黙知のデジタル化、技能伝承、検査自動化、IoT/MES、動画マニュアル、現場の業務改善アプリ内製 化。重工業のDXのなかでも、最も固有性が高く、かつ「効いた時のインパクト」が大きい領域である。

三菱重工のkintone内製化(963アプリ・3,000人)はこの領域のひとつの先行モデルである。

③ アフターサービスDX(Ch.6) デジタルツイン、予知保全、フィールドサービス、リモート診断、サブスクリプション化。MRO収益が 重要な重工メーカーにとって、ここをデジタル化できるかは長期収益力を決める。IHIのILIPSはこの領域 の先行事例であり、Rolls-RoyceのPower-by-the-Hour、GE Predix、Pratt & WhitneyのEHMといった海 外事例が学習対象になる。

④ 本社・経営機能DX(Ch.7) 経理・人事DX、データドリブン経営、ERP/データレイク統合、生成AIを活用した経営判断支援。複数事 業を抱える重工メーカーは、本社による事業横断の見通しが弱くなりがちで、ここをデータで貫く意義が 大きい。川崎重工が本社にDX戦略本部を統合した動きは、この文脈で理解できる。

⑤ サプライチェーンDX(Ch.8) ティア2/3の可視化、調達プロセスのデジタル化、サプライチェーン強靭化、調達リスクの予兆検知。重 工業のサプライチェーンは広く深く、かつ事業承継問題やキャパシティ制約を抱えるティア2/3に支えら れている。ここをデジタルで可視化し、強靭化する取り組みは、安全保障の文脈とも結びつき、今後の政 策テーマとも重なる。

3.4 5領域は独立していない ― データを介して連結する

ここまで5領域を分けて整理してきたが、実際の重工メーカーの現場では、これらは独立した取り組みで はない。

たとえば、設計DXで蓄積された3D CADデータは、製造現場のMR/AR組立支援に流れ込み、アフターサー ビスのデジタルツインの基盤データにもなる。製造現場のIoTセンサーから上がるデータは、品質管理を 経て本社の経営ダッシュボードに集約され、同時にサプライチェーン上の不具合検知にも使われる。

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つまり、5領域をバラバラに投資すると効果が頭打ちになる。逆に言えば、5領域を貫くデータ基盤を設 計できれば、投資効率は飛躍的に高まる。三菱重工のΣSynXが「機械システム同士が協調するエコシステ ム」を志向するのも、こうした統合志向の表れである。

ただし、すべての領域に同時に手を付けられる企業は限られる。多くの場合、自社の構造的弱点や、競争 上の機会領域に応じて、投資の優先順位を付ける必要がある。本書は、その判断のための共通フレームを 提供することを目的としている。

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04 設計DX

過去事例をデータ蓄積し、競争力の源泉にする

K E Y F I N D I N G S

重工業の設計業務は「一品ものでありながら過去資産の再利用が競争力」という一見矛盾する性質 を持ち、ここを解くことが設計DXの本質である 設計DXの進化は 3D化・モデルベース定義 → 設計-製造データ統合 → AIによる設計支援 の3レイヤ ーで整理でき、海外プライムはすでに3層目に踏み込んでいる 重工業の設計DXを成功させるには、業務プロセス変革/データ連結の業界仕様化/領域別最適解の 組み合わせ/AIの組み込み方 という4つの論点を同時に押さえる必要がある 汎用的なDXソリューションをそのまま導入しても効きにくく、業界・企業固有の事情を踏まえた段 階的アプローチが鍵となる 規制対応(防衛・原子力)や情報保全要件が、重工業特有の制約として設計DXに上乗せされる

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4.1 重工業の設計業務、その独特の難しさ

重工業の設計部門は、業界の枠を超えて見ても、規模・専門性ともに突出した存在である。総合重機メー カーは数千人規模の設計者を抱え、ガスタービン1機種、艦艇1隻、航空エンジン1基種を仕上げるためだ けに数百人がチームを組む。設計から納入までの期間は数年に及び、その間に蓄積される図面・解析結 果・検査記録・認証書類は、製品1件あたりで数万件規模に達する。

ここに業界の本質的な難しさがある。重工製品は一品ものでありながら、過去資産の再利用が競争力を 決めるという、一見矛盾する性質を持っている。タービンブレードを例に取れば、出力や運転条件によっ

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て形状・サイズは案件ごとに異なる。だが、設計の骨格、解析手法、材料選択、製造条件の多くは過去事 例に基づく。「ゼロから設計する」ことは、実はほとんどない。

問題は、その「過去事例」が、設計者個人の頭の中、あるいは個別の図面ファイルやドキュメントとして 社内に散在していることである。NTTデータが製造業の現場を取材したインタビューでは、こんな実態が 報告されている。設計書やトラブルシューティングの事例などのドキュメンテーションが会社の中で散ら ばっており、かつ最新化されていない。同じ調査では、ベテラン設計者なら過去の類似事例を5〜10分で 探し当てられるが、そうでない人は「死ぬほど時間がかかる」という現場の声が紹介されている。

「同じものを毎回作っている」「過去のトラブル事例を探すのに半日かかる」──これが、設計DXが解 くべき課題の正体である。

4.2 設計DXがもたらす変化の地図

過去10年で、重工業の設計DXは3レイヤーが順序立てて積み上がる構造で進んできた(図表4-1)。

レイヤー1は3D CAD・MBDによる情報の一元化で、三菱パワーのタービンブレード3D化(2D図面500〜 数千枚を3Dモデルに集約、設計工数半減)が典型例。レイヤー2はPLM/BOMによる設計-製造データ統 合で、汎用PLMをそのまま入れて失敗する企業も多い。レイヤー3は生成AI・デジタルスレッドで、 Boeing(70+の生成AIアプリ、デジタルツインで初回品質40%改善)やAirbus(bionic partition で45% 軽量化)が先行している。

3レイヤーは順序立てて積み上げる層構造であり、レイヤー1の徹底なしにレイヤー3は機能しない。海外 プライムも国内重工メーカーも、現在地はレイヤー2の途中〜レイヤー3の入り口にある。

4.3 重工業の設計DXを左右する4つの論点

設計DXの成否は、技術選定そのものではなく経営判断としての4つの論点をどう設計するかにかかる(図 表4-3)。

KSF1:プロセス変革との一体化(ツール導入を業務プロセス・組織体制の変革と一体で進める)、 KSF2:業界仕様データ連結(航空・防衛・原子力等の業界固有規格への対応とサプライヤー・顧客との 連結)、KSF3:領域別の最適解(事業領域ごとに必要な設計DXの形は異なり、全社一律PLMは破綻しや すい)、KSF4:AI組み込みの戦略的位置づけ(生成AI・ジェネレーティブデザインを設計プロセスのど こに組み込むかを戦略的に設計)。海外プライムが先行する領域であり、日本企業は「追従するか/別の 戦い方を見つけるか」の選択を迫られている。

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図表4-2:設計DXの4つのKSF(まとめ) # 論点 具体的な意味 実装の含意 KSF1 プロセス変革との一体 化 3D CAD・PLM・生成AIなどの導入 を、単なるツール置き換えではな く、設計プロセス・組織体制の変革 と一体で進める 「現行業務をそのまま乗せる」では 効果が出ない。業務改革のオーナー シップを設計部門が持つ必要がある KSF2 業界仕様データ連結 航空・防衛・原子力等の業界固有デ ータ規格(STEP・QIF・MIL規格 等)への対応と、サプライヤー・顧 客との連結 汎用PLMの選定だけでは不十分。業 界仕様への適合性を選定軸に組み込 む KSF3 領域別の最適解 同じ重工メーカーでも事業領域(航 空・船舶・産業機械)ごとに必要な 設計DXの形は異なる 全社一律のPLM導入は破綻しやす い。事業単位での最適化を許容する 設計思想が必要 KSF4 AI組み込みの戦略的位 置づけ 生成AI・ジェネレーティブデザイン を「あれば使う」ではなく、設計プ ロセスのどこに組み込むかを戦略的 に設計 海外プライムが先行する領域。日本 企業は「追従するか/別の戦い方を 見つけるか」の選択を迫られる

4.4 業界事例 ― 設計DXの先進実装

ここまでのKSFを踏まえ、海外プライムと国内重工メーカーの実装事例を、4つのKSFに対応する形で整 理する。

Boeing(米国) ― KSF1・KSF2・KSF4対応:1990年代からCATIAでの全機種3D化を進め、787開発では 世界に分散したサプライヤーと3D CADデータを共有する基盤を構築した。2010年代以降はデジタルツイ ンを実装し、部品・システムの初回製造品質を最大40%改善したと報告している。2023年からは社内向 け生成AIプラットフォーム「Boeing Conversational AI」を構築、70以上の生成AIアプリを実装した。

「チームにもう一人のエキスパートがいるような感覚」(社内エンジニア談)と評され、設計プロセスそ のものに生成AIが組み込まれた状態に近づきつつある(図表4-3参照)。

Airbus(欧州) ― KSF4対応:A320の客室内仕切り「bionic partition」では、ジェネレーティブデザイ ンを実機投入し、強度を維持しながら45%軽量化を実現した。1機あたり燃料消費削減効果は年間46万ト ンのCO2削減に相当する。「あれば使う」ではなく、設計プロセスのどこに組み込むかを戦略的に設計し た好例である。

三菱パワー(日本) ― KSF1対応:タービンブレード設計では、従来2D図面500〜数千枚で管理していた 情報を3Dモデルに一元化し、設計工数を半減させた。3D CAD導入を単なるツール置き換えではなく、ブ レード設計プロセス全体の見直しと一体で進めた点が重要である。

国内ベンダーの追従 ― KSF2・KSF4対応:NEC Obbligato、PTC Codebeamerなど国内ベンダーのPLM/ ALMにも、2025年から生成AI機能の搭載が始まった。航空・防衛・原子力等の業界固有規格への対応を

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前提とした、日本企業向けの設計DX基盤が整備されつつある。

4.5 重工業特有の追加条件と、日本企業への含意

ここまで論じた4つのKSFは、製造業全体に通じる論点でもある。重工業の場合、これに加えて、業界固 有の制約が2つ重なる。

規制対応:防衛・原子力・航空分野では、情報保全規制(セキュリティ・クリアランス、輸出管理)が厳 格に課される。クラウドベースのデータ基盤や生成AIサービスを、そのままの形では使えない事業領域が ある。オンプレミス/プライベートクラウドでの構築、特定ベンダー認定、データの国内保管要件など、 設計DXの実装手段に強い制約がかかる。

長納期と長期サービス:設計から納入まで数年、納入後の運用期間が20〜40年に及ぶため、設計DXで導 入する技術基盤も「長期間使い続けられる」前提で選定する必要がある。短命なクラウドサービスや、サ ポートが急に切れるベンダー製品に依存することは、重工業の事業特性とは相性が悪い。

そして、もう一つ重要な現実認識を加えておきたい。本書Ch.1で触れた通り、日本の製造業全体ではDX に着手している企業は88%だが、競争力強化に踏み込めているのはわずか3%にとどまる。設計DXも同じ 構造の中にある。多くの企業が「3D CADは導入済み」「PLMも入れた」「生成AIのPoCもやった」とい う状態にあるが、それらが事業成果と連動した形で稼働しているかは別問題である。

「DXに着手」と「DXが効く」の距離を埋めるのは、ここで論じた4つのKSFを、自社の事業構造と組織の 現実に合わせて、地道に作り込んでいく営みである。一気通貫の万能解はなく、海外プライムも国内先行 企業も、その道を粘り強く進んでいる最中である。

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05 製造現場DX

「人の動き」を組織の資産に変える

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重工業の製造現場は、一品もの・少量多品種・熟練技能依存という性質ゆえに、自動車量産工場と はまったく異なるDX設計が求められる 現場DXの選択肢は、作業を見える化する/判断をAIに学習させる/データを蓄積するの3軸で整理 でき、いずれも近年実用レベルに達してきた 川崎重工のKMC明石工場では、AI外観検査が エンジン組立検査・溶接ビード検査・外観キズ検査 の全工程に展開され、メキシコ・タイの海外工場へも横展開されている 三菱重工はMRグラスを活用した航空機胴体パネルの組立支援を実装し、現場業務アプリのkintone 内製化では 52部門・3,000人超 がユーザーとなる規模に達している 製造現場DXの成否は、データ化と知能化の二段階設計/現場親和的な入口設計/AIと人間の役割分 担/暗黙知から組織知への変換 の4つの論点をどう設計するかにかかる

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5.1 重工業の製造現場、その独特の難しさ

重工業の製造現場は、製造業全体のなかでも最も固有性が高い領域である。一品もの・少量多品種が基 本であり、艦艇や航空機胴体、大型ガスタービンといった、規模・形状・要求精度のいずれをとっても特 殊な構造物を、限られた台数だけ製造する。自動車のような量産型ラインの発想は、ここではほとんど通 用しない。

第一の特性は、熟練技能への深い依存である。溶接、組立、加工、検査──どの工程にも、ベテラン作業 者の「目」と「手」が前提として組み込まれている。タービンブレードの最終仕上げ、艦艇の溶接ビード の良否判定、エンジン部品の組付け順序──いずれも、設計図面に書ききれない「現場の判断」が品質を 決める。そして、その判断基準は、本人の頭の中にしかない。

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厚生労働省の2025年版ものづくり白書は、この問題の深刻さを数字で示している。製造業の61.8%が 「指導する人材が不足している」、46.1%が「人材育成を行う時間がない」と回答しており、技能伝承が 現場の最重要課題として浮き彫りになっている。ベテランの引退と若手への継承が間に合わない構造的危 機である。

第二の特性は、外国人作業者の比率上昇とグローバル展開である。国内工場では技能実習生・特定技能 労働者が増え、海外工場(メキシコ、タイ、ベトナム、米国等)の比重も拡大している。日本語マニュア ル・日本語OJTを前提とした従来の教育体制では、もはや回らない。

第三の特性は、検査工数の膨大さである。航空機・防衛装備品・原子力機器のような高信頼性製品で は、製造プロセスの各段階で膨大な検査が課される。人による目視検査が品質保証の最後の砦になってお り、ここにも熟練の技能が要求される。

「現場の熟練者がいなくなると、品質が維持できない」「外国人や若手だけで品質が保てる体制になって いない」「検査工数を削れないが、検査員が高齢化している」──これが、重工業の製造現場が抱える課 題の構造である。

5.2 製造現場DXがもたらす変化の地図

製造現場DXは「見える化」「AIに学習させる」「データを蓄積する」の3軸で整理できる(図表5-1)。

軸1:作業を見える化は、紙のマニュアル・OJTからデジタルメディアへの移行。動画マニュアル(tebiki 等)、AR/MRグラス、デジタル帳票が主要ツールで、三菱重工は航空機胴体パネル組立にMRグラスを導 入し図面参照を不要化した。軸2:判断をAIに学習させるは、熟練者の「目」「判断基準」をAIで自動 化・標準化する取り組み。代表例が川崎重工KMC明石工場のAI外観検査で、エンジン組立検査→溶接ビー ド検査→外観キズ検査の3工程に展開し、メキシコ・タイへ横展開している。軸3:データを蓄積する は、現場の稼働・品質データをIoT/MES・ノーコード基盤で継続的に蓄積する取り組み。三菱重工の kintone内製化(963アプリ・52部門・3,000人超活用、アジア5拠点へ水平展開)が国内最大規模の事 例。

3軸は独立して見えるが強く連動する。①で蓄積した作業映像が②AIの学習データになり、③で蓄積した データが①のマニュアル更新材料になる。「データ化」を先にやり、その上で「知能化」へ進む順序が成 功の鍵となる。

5.3 重工業の製造現場DXを左右する4つの論点

製造現場DXの成否を分ける論点は4つに集約される(図表5-2)。

KSF1:データ化と知能化の二段階(まず作業・設備のデータ化を徹底し、その上でAI活用に進む)、 KSF2:現場親和的な「小さな入口」(全社統合MESではなく、1工程・1工場単位の改善ツールから始め る)、KSF3:AIと人間のハイブリッド運用(AIが完全代替するのではなく、熟練者・検査員と協調する 運用が現実解)、KSF4:暗黙知の二段階変換(「個人知→形式知→組織知」の変換を意識的に設計す る。形式知化だけでは死蔵される)。

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図表5-2:製造現場DXの4つのKSF(まとめ) # 論点 具体的な意味 実装の含意 KSF1 データ化と知能化の二 段階 まず作業・設備のデータ化を徹底 し、その上でAI活用に進む。順序を 飛ばすと両方が中途半端になる IoT・MES・現場アプリでのデータ 蓄積を1〜2年先行させる。AI導入は その上で KSF2 現場親和的な「小さな 入口」 全社統合MESではなく、1工程・1 工場単位の改善ツールから始める。

動画マニュアル、AI外観検査、 kintone内製化など 「現場が自分で作って自分で使う」 運用文化の醸成。IT部門に依頼書を 出して半年待つ発想を脱する KSF3 AIと人間のハイブリッ ド運用 外観検査も技能伝承AIも、AIが完全 代替するのではなく、熟練者・検査 員と協調する運用が現実解 AI導入と同時に「最終確認は人」の 運用ルールを設計。AI判定のログ蓄 積で精度を継続的に向上 KSF4 暗黙知の二段階変換 「個人知→形式知→組織知」の変換 を意識的に設計する。形式知化(動 画・データ化)だけでは死蔵される 第一段階のコンテンツ作成だけでな く、第二段階(必要なときに必要な 人が参照・更新できる仕組み)への 投資を確保

5.4 業界事例 ― 製造現場DXの先進実装

製造現場DXは、重工業の中でも特に各社が独自色を出している領域である。4つのKSFに対応した先進事 例を以下に整理する。

三菱重工 ― 航空機胴体パネル組立へのMRグラス導入(KSF1・KSF2対応):航空機胴体パネルにマイク ロソフトHoloLensベースのMRグラスを導入し、3DモデルとリベットIDを実物に重ね合わせて表示する 仕組みを構築した。作業者は紙の図面参照を不要化、リベット締結作業のミスを大幅に削減した。同社 はMRグラスの導入を、いきなり全社展開ではなく1工程単位の改善ツールとして始めた点が特徴であ る。

三菱重工 ― kintone内製化の全社展開(KSF2対応):現場の業務改善アプリをノーコード基盤kintone で内製化する取り組みは、2018年頃から始まり、現在は963アプリ・52部門・3,000人超のユーザーが活 用、アジア5拠点へ水平展開されている。「現場が自分でアプリを作り、自分で使う」運用文化が、組織 能力としてのDXを支えている代表例である。

川崎重工 KMC明石工場 ― AI外観検査の段階展開(KSF3・KSF4対応):モーターサイクル&エンジン事 業のKMC明石工場で、AI画像認識による外観検査を導入。最初はエンジン組立工程の検査自動化から始 め、その後溶接ビード検査、外観キズ検査と段階展開した。さらにメキシコ・タイの海外工場へも横展 開している。熟練検査員の判断基準をAIに学習させつつ、最終確認は人が行う「AIと人間のハイブリッド 運用」を実装した好例である(図表5-3参照)。

現場親和的ツールの広がり ― KSF2対応:動画マニュアル作成ツール「tebiki」は多言語自動翻訳機能を 持ち、外国人作業者にも同じ品質で技能を伝える基盤として、重工業を含む製造業全体で急速に広がって

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いる。重工業の現場でも、「紙のマニュアルでは伝わらない手の動き」をデジタル化する入り口として活 用されている。

5.5 重工業特有の追加条件と、日本企業への含意

ここまでの4つのKSFは、製造業全体に通じる論点でもある。重工業の場合、これに加えて、業界固有の 制約が複数重なる。

大型構造物・人手依存の工程:タービンの組立、艦艇の溶接、航空機胴体のリベット締結──こうした 重工業特有の工程は、ロボット化が技術的・コスト的に難しい領域が多い。製造現場DXは「人を機械で 置き換える」発想ではなく、「人の作業を支援し、品質を標準化し、技能を伝承する」発想で設計する必 要がある。MRグラスやARによる作業支援、動画マニュアル、AI外観検査──いずれも、人間の作業を排 除するのではなく、強化する方向の道具である。

情報保全規制:防衛・原子力・航空分野の現場データは、外部クラウドへのアップロードに制約があ る。動画マニュアル、IoTセンサーデータ、kintoneアプリ──いずれも、データの保管場所・通信経路・ アクセス権限を、規制要件に合わせて設計する必要がある。市販のSaaSをそのまま導入できない領域が あることを、最初から織り込んでおく必要がある。

グローバル展開と多言語対応:重工業の海外工場展開は加速している。三菱重工の航空エンジン整備(愛 知拠点で整備能力倍増計画)、IHIの航空エンジン整備(埼玉拠点に数百億円の追加投資)、川崎重工の KMC明石→メキシコ・タイ展開──いずれも、国内拠点で確立したDXの仕組みを、海外の言語・文化・ 人材構成に合わせて展開する力が問われる。動画マニュアルの多言語自動翻訳、AI外観検査の海外横展 開、kintoneアプリのアジア5拠点展開のような実例は、その方向性を示している。

そして、Ch.4と同様にここでも、「DXに着手」と「DXが効く」の距離を直視する必要がある。多くの重 工メーカーが、「動画マニュアルを試した」「AI外観検査を導入した」「kintoneを入れた」という状態 にある。だが、それらが製造現場の人手不足解消・技能伝承・品質向上に結びついて、事業成果として現 れているかどうかは、別の問題である。4つのKSFを自社の現場に合わせて地道に作り込んでいく営み が、結局はそれぞれの工場・事業部の競争力に直結する。

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06 アフターサービスDX

「売って20年」を収益に変える

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重工業の収益構造は「製品を売って終わり」ではなく、納入後20〜40年の運用期間中の保守・サー ビス事業が長期収益を決める 三菱重工パワーのTOMONI HUBは 国内外150ユニット以上 の発電プラントを24時間遠隔監視し、 GTCCプラントの計画外停止を年間2〜4日削減、年間数億円規模の収益創出に寄与している IHIのILIPSは300台以上のターボ機器・コンプレッサーで稼働中。両社とも10年以上の地道な積み 重ねを経て、ようやくビジネスとして機能し始めている 一方、GEがPredixに10億ドルを投じて挫折した事例が示すように、製造業汎用IoT基盤の構築は困 難であり、個別最適性が求められる アフターサービスDXの成否は、サービス事業の収益モデル設計/自社製品ドメイン特化/顧客との 長期信頼関係/プラットフォーム化の慎重な見極めの4つの論点をどう設計するかにかかる

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6.1 重工業のアフターサービス、その独特の難しさ

重工業のアフターサービス事業は、製造業全体のなかでも、最も「DXとの相性が良い」と言われてきた 領域である。理由は単純で、製品が長期間・遠隔地で稼働しているため、デジタル技術による運転データ 収集・分析・遠隔診断のメリットが最も大きい領域だからである。

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しかし、現実にこの領域でDXが機能している事例は、実はそれほど多くない。海外大手の野心的なプラ ットフォーム構想が次々と挫折し、国内事例も10年以上の地道な積み重ねがようやく結実し始めた段階 にある。なぜそうなるのか──そこに重工業特有の構造的難しさがある。

第一の特性は、製品が長期間・グローバルに散らばっていることである。ガスタービン、航空エンジン、 舶用エンジン、製鉄機械、原子力プラント──いずれも、納入後20〜40年にわたり、世界各地で稼働す る。三菱重工パワーのTOMONI HUBが国内外150 ユニット以上の発電プラントの遠隔監視業務を支援す る規模に達するまでに、20年以上の積み重ねがあった。これは「導入すれば動く」類のシステムではな く、各拠点・各機種・各運用形態に合わせた地道な調整の積み重ねの上に成り立っている。

第二の特性は、機器のミッションクリティカル性である。発電プラントの停止は、社会インフラの停止に 直結する。航空エンジンの不具合は、人命に直結する。アフターサービスDXは、「動かしてみて改善す る」ことが許されない世界で、極めて高い信頼性を要求される。三菱重工技報が指摘するように、世間一 般でもてはやされるデジタルは巨大なユーザを対象としたB2Cのケースが主であり、メーカーが向き合う のは、ミッションクリティカルなB2Bの世界である。そこでは規模の経済が有効に働きにくく、セキュリ ティ等の制約も大きく、機器ライフスパンも極めて長く、決して華々しく成果が出るものではなく、徐々 に成果を積み上げる世界となる。

第三の特性は、データの所有・利用に関する顧客との合意形成の難しさである。納入後の機器から上が ってくるデータは、製品の運用情報であると同時に、顧客の事業情報でもある。「データをメーカーが収 集することにどんなメリットがあるのか」を顧客に納得してもらえない限り、データは集まらない。そし て、データが集まらなければ、アフターサービスDXは成立しない。

「製品は売れたが、データが取れない」「データは集まったが、顧客への価値提供につながらない」── これが、アフターサービスDXが解くべき課題の正体である。

6.2 アフターサービスDXがもたらす変化の地図

アフターサービスDXは3段階の積み上げで進化する(図表6-1)。段階を飛ばして実装することは困難で あり、Stage 1で20年データを蓄積した上で、ようやくStage 2の予知保全が機能し、その積み上げの先に Stage 3の「コト売り」モデルが成立する。

Stage 1:遠隔監視 ― 納入機器の稼働データを遠隔で24時間監視し、異常の早期発見と遠隔診断・サポ ートを実現する基礎段階。三菱重工パワーは1999年から、IHIはILIPSで300台以上のターボ機器を稼働 中。

Stage 2:予知保全(CBM) ― 時間基準(TBM)から状態基準(CBM)へ。データに基づき必要な時に だけ介入することで「コスト」を「価値」へ転換する。三菱重工TOMONIは2017年から本格運用で、 GTCC計画外停止を年間2〜4日削減、年間数億円規模の収益創出に寄与している。

Stage 3:コト売り化 ― 製品ではなく「機能・成果」を販売するモデル。Rolls-Royce TotalCare(飛行 時間あたり課金、8,000機以上を監視、市場300億ドル規模)が先行し、IHIは「LCB(ライフサイクル・ ビジネス)」戦略でモノ売りからコト売りへの転換を打ち出している。

なお、海外プライムの取り組みでも教訓は多い。GEがPredixに10億ドル以上を投じながら2018年に事実 上の戦略転換を強いられたのは、汎用IoTプラットフォーム発想で重工業のアフターサービスDXを横展開

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しようとして失敗したからである。重工業のアフターサービスDXは、自社製品ドメインに特化した知見 蓄積を前提とした上で初めて経済価値を生む。

6.3 重工業のアフターサービスDXを左右する4つの論点

アフターサービスDXの成否を分ける論点は4つに集約される(図表6-2)。

KSF1:製品契約と一体型のデータ取得(納入時の契約段階でデータ取得の同意・所有権・利用範囲を明 確化)、KSF2:自社製品ドメインに特化した知見蓄積(GE Predix型の汎用プラットフォームは失敗。自 社製品の物理モデル・運転特性と一体化したアプリ開発が必要)、KSF3:顧客との長期信頼関係構築 (機微なデータの常時共有には信頼関係が必須。LTSAと一体運用が現実解)、KSF4:規模の経済が効き にくい構造への適応(1基ごとに仕様が異なる重工製品では汎用クラウドSaaSの経済モデルは効かない。

10年以上の積み重ねを前提とした投資計画が必要)。

図表6-2:アフターサービスDXの4つのKSF(まとめ) # 論点 具体的な意味 実装の含意 KSF1 製品契約と一体型のデ ータ取得 納入時の契約段階でデータ取得の同 意・所有権・利用範囲を明確化。後 付けでは取得が困難 営業・契約部門とアフターサービス 部門の連携が必須。標準契約書のテ ンプレートに組み込む KSF2 自社製品ドメインに特 化した知見蓄積 GE Predixのような汎用プラットフ ォームは失敗。自社製品の物理モデ ル・運転特性に深く結びついた分析 が価値を生む 外部の汎用IoT基盤に頼らず、自社 製品の知見と一体化したアプリケー ション開発が必要 KSF3 顧客との長期信頼関係 構築 遠隔監視・予知保全には機微なデー タの常時共有が必要。顧客との信頼 関係なしには成立しない 「契約」だけでなく「関係性」を構 築。長期サービス契約(LTSA)と 一体運用が現実解 KSF4 規模の経済が効きにく い構造への適応 1基ごとに仕様が異なる重工製品で は、ソフトウェアの標準化・横展開 が困難。汎用クラウドSaaSの経済 モデルは効かない 10年以上の積み重ねを前提とした 投資計画。三菱重工パワー・IHIの 実装期間(20年)を参考に

6.4 業界事例 ― アフターサービスDXの先進実装

アフターサービスDXは、重工業の中で最も「コト売り」への転換が進んでいる領域である。海外プライ ムが先行しつつ、国内重工3社も独自の取り組みを進めている。

三菱重工 TOMONI HUB ― 20年以上の積み重ね(KSF1・KSF2・KSF3対応):1999年に高砂、2001年に 長崎で発電プラントの遠隔監視を開始し、2016年オーランド、2019年マニラ、2021年デュイスブルクへ と拠点を拡大、計5拠点のグローバルネットワークを構築した。2017年からは状態ベース保全(CBM)へ の移行を本格化し、現在は接続規模72プラント・164ユニットに拡大、GTCC計画外停止を年間2〜4日削

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減し年間数億円規模の収益を創出している。2021年からは長期サービス契約(LTSA)とデータ取得・サ ービス提供を契約一体化し、Stage 3「コト売り化」への移行を進めている。契約段階でデータ取得の合 意を組み込んだ点が、KSF1の実装として重要(図表6-3参照)。

IHI ILIPS ― ターボ機器の遠隔監視基盤(KSF1・KSF2対応):産業用ターボ機械(圧縮機、過給機等) に対し、ILIPS(IHI Lifecycle Improvement Platform Service)で300台以上を遠隔監視している。専用 回線でセキュアな構成を採り、自社製品ドメイン特化の運転データ蓄積を進めている。同社は「LCB(ラ イフサイクル・ビジネス)」を経営戦略の中心に据え、モノ売りからコト売りへの転換を旗印として打ち 出している。

Rolls-Royce TotalCare ― 業界の到達点(KSF1・KSF3対応):航空エンジン領域で「Power-by-the- Hour(飛行時間あたり課金)」モデルを商業化し、8,000機以上のエンジンを監視、市場規模300億ドル (2025年予測)に達している。メーカーと顧客の利害が完全に一致するモデルとして、業界の到達点と 位置づけられる。顧客との長期信頼関係の構築なしには成立しないモデルである。

GE Predix ― 失敗からの教訓(KSF2対応):GEは2010年代に汎用IoTプラットフォーム「Predix」に10 億ドル以上を投じたが、2018年に事実上の戦略転換を強いられた。汎用プラットフォーム発想で重工業 のアフターサービスDXを横展開しようとしたことが失敗の本質である。自社製品ドメインに特化した知 見蓄積を前提としなければ、重工業のアフターサービスDXは経済価値を生まないことを示した教訓的事 例である。

6.5 重工業特有の追加条件と、日本企業への含意

ここまでの4つのKSFは、アフターサービス事業を持つ製造業全体に通じる論点でもある。重工業の場 合、これに加えて、業界固有の制約が複数重なる。

製品ライフスパンの極端な長さ:航空エンジンは20〜30年、ガスタービンや原子力プラントは30〜40年 にわたって運用される。アフターサービスDXで構築する技術基盤も、同じ時間軸で持続する必要があ る。短命なクラウドサービスや、ベンダーロックインの強い独自プロトコルは、長期運用との相性が悪 い。三菱重工パワーがMicrosoft Azureをクラウド基盤に、AVEVA PI Systemをデータ管理ソリューション にそれぞれ採用しているように、長期保証の堅牢な基盤を選定する判断が必要となる。

情報セキュリティ要件の厳しさ:発電所、化学プラント、防衛装備品など、重工製品の多くは重要インフ ラに該当する。遠隔監視データのセキュリティ・通信経路・アクセス管理は、市販SaaSの標準的なセキ ュリティ水準を超えた設計が必要となる。IHIのILIPSが専用回線でM2M通信を構築しているのは、この要 件への対応である。

生成AIの組み込みは「これから」の段階:三菱重工技報は、2023年時点でTOMONI の生成AI(Artificial Intelligence)アプリの社内向け試行を開始、その利便性と課題が見えてきた。今後は、課題解決に取り 組むとともに、TOMONI に蓄積された保全、運転データを活用し、既存アプリと生成AI を組み合わせ、 お客様向けにもサービス展開する予定であると報告している。アフターサービスDXに蓄積された大量の 運転データ・保全ノウハウは、生成AIにとって絶好の学習素材となる。ここから先5〜10年で、生成AIを 組み込んだ次世代アフターサービスが本格化する。

そして、Ch.4・Ch.5と同様にここでも、「DXに着手」と「DXが効く」の距離を直視する必要がある。多 くの重工メーカーが「IoTプラットフォームを作った」「遠隔監視を開始した」状態にある。だが、それ

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が事業収益として明確に効いているかは、別問題である。三菱重工パワーやIHIのように10年以上の積み 重ねを経て、ようやく具体的な経済価値(計画外停止削減、稼働率向上、サービス収益拡大)が見えてく る──そういう時間軸の事業である。

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07 本社・経営機能DX

「事業横断の見通し」をデータで貫く

K E Y F I N D I N G S

重工メーカーは多事業構造ゆえに、本社が事業全体を横断的に把握する難度が非常に高く、ここを データで貫けるかが経営判断のスピードと精度を決める 三菱重工はSAP S/4HANAをAzure上で稼働させ、データ準備期間を大幅に削減してデータドリブン 経営への転換を進めている。経理・調達という2大基幹系は2023年5月にカットオーバー 川崎重工は2023年4月に各カンパニーの情報システム部門を本社に統合してDX戦略本部を立ち上 げ、IHIは航空・宇宙・防衛事業領域でBIツールTableauと「スキルベルト制度」を組み合わせた人 材育成型の経営DXを進めている 経理・人事・調達といった「非競争領域」はSAP・Oracle等の標準ERPで全社統合し、競争領域は 事業部主導で個別最適化する二段構えのアーキテクチャが現実解 本社・経営機能DXの成否は、ERP刷新を業務改革の機会に変える/非競争領域での標準化/データ ドリブン経営の運用設計/DX人材の組織横断的育成の4つの論点をどう設計するかにかかる

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7.1 重工メーカー本社の、その独特の難しさ

重工メーカーの本社は、製造業のなかでも最も「事業の見通しが立てにくい」組織構造を持っている。三 菱重工業は国内外約300社のグループ会社で構成され、民間航空、輸送、発電所、ガスタービン、機械、 インフラから防衛・宇宙システムまで、まったく性質の異なる事業を抱えている。川崎重工業も、航空宇 宙、エネルギーソリューション&マリン、精密機械・ロボット、車両、モーターサイクル&エンジンと、 独立性の高い複数事業を持つ。

ここに、本社・経営機能DXが解くべき本質的な難しさがある。事業の性質がバラバラで、システムも歴 史も違う組織を、いかにして横串で見通すか──これである。

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第一の特性は、事業ごとにシステムと業務プロセスが異なることである。三菱重工ICTソリューション本 部の野本氏は、データのサイロ化の要因を率直にこう語っている。データがサイロ化する要因には、当社 がさまざまな領域をまたがって事業を行なっていること、システムを構築した時期がそれぞれの事業で異 なることが挙げられます。また、実務でデータを扱っている人たちが優秀すぎることも理由ではないかと 思っています、と。データを扱う担当者がExcelやAccessを駆使して「乗り越えられてしまう」状態が、 組織的な統合を阻害してきた、というのである。

第二の特性は、製品サイクルが長く、データの蓄積期間が長期にわたることである。ガスタービン1基 種、艦艇1隻、航空エンジン1基種、いずれも数十年単位の事業ライフサイクルを持つ。会計・調達・在 庫データは数十年にわたって蓄積される一方、業務システムは10〜20年ごとに更新される。古いシステ ムから新しいシステムへのデータ移行・統合が、避けて通れない論点として常に存在する。

第三の特性は、グローバル拠点の多さである。三菱重工約300社、川崎重工も国内外多数の拠点、IHIも世 界中に事業所を持つ。本社主導でグローバル統合データ基盤を構築しても、各国の規制(GDPR、データ ローカライゼーション要件等)、現地法人の自律性、言語・文化の違いといった現実が立ち塞がる。

「本社で事業全体を把握しようとすると、数字が出てくるまで時間がかかる」「事業部間で数字の定義が 違う」「グローバル拠点のデータが本社に上がってこない」──これが、本社・経営機能DXが解くべき 課題の正体である。

7.2 本社・経営機能DXがもたらす変化の地図

本社・経営機能DXは4軸で整理できる(図表7-1)。軸1:基幹系ERPの刷新と統合は、SAP ERPサポート 期限(2027年問題)を契機にS/4HANAへ移行する取り組み。「現行業務の乗せ替え」を避け、業務改革 と一体で進めることが鍵となる。三菱重工は2023年5月に経理・調達の2大基幹系をAzure上のSAP S/4HANA HECでカットオーバーした。

軸2:データ分析基盤の整備は、事業横断でデータを可視化・分析する基盤の構築。三菱重工はAzure Synapse Analyticsで全社データ分析基盤を構築し、川崎重工は2023年4月に各カンパニーの情シスを本 社DX戦略本部に統合、IHIは航空・宇宙・防衛事業領域でTableauと「スキルベルト制度」を一体展開し ている。「ダッシュボードを作るだけ」では効かず、運用習慣まで踏み込む必要がある。

軸3:シェアードサービス化は、経理・人事・調達といったバックオフィスの集約。三菱重工はSAPベー ス連結決算アウトソーシングを2018年から開始し、kintone内製化をアジア5拠点へ水平展開している。

軸4:生成AIによる経営判断支援は、事業部内にDX人材を埋め込み、認定制度・キャリアパスを経営方針 と一体化する取り組み。三菱重工は2025年に経営方針を「ITO(Innovative Total Optimization)」と再 定義し、DI人材認定制度(BASIC/ADVANCED/MASTERの3段階)を本格展開している。

4軸はバラバラには進められない。基盤がなければ生成AIは効かず、シェアードサービスがなければデー タの一元性は保てない。

7.3 重工業の本社・経営機能DXを左右する4つの論点

本社・経営機能DXの成否を分ける論点は4つに集約される(図表7-2)。

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KSF1:ERP刷新を業務改革と一体化(SAP S/4HANA移行を現行業務の乗せ替えで済ませない)、 KSF2:非競争領域の標準化を経営権威で貫く(会計・調達は全社標準化、販売・MROは事業部主導とい う線引きを経営判断で明示)、KSF3:ダッシュボード運用設計(BIツール導入で終わらず、データドリ ブン意思決定の運用習慣まで踏み込む)、KSF4:DX人材を事業部主導で育成(IT部門に任せず、事業部 内にDX人材を埋め込む。三菱重工のDI人材認定、IHIスキルベルト、川崎重工DX戦略本部統合がいずれも この問題意識からの取り組み)。

図表7-2:本社・経営機能DXの4つのKSF(まとめ) # 論点 具体的な意味 実装の含意 KSF1 ERP刷新を業務改革と 一体化 SAP S/4HANA移行を「現行業務の 乗せ替え」で済ませない。業務プロ セス改革と一体で進める 「アドオン大量追加」を経営の権威 で抑える。三菱重工は2023年5月に Azure×SAP S/4HANAを稼働 KSF2 非競争領域の標準化を 経営権威で貫く 会計・調達などは全社標準化、販 売・MROなどは事業部主導という 線引きを経営判断で明示 各事業部からの「うちは特殊」とい う反発を経営の権威で乗り越える。

三菱重工の田崎本部長の設計思想 KSF3 ダッシュボード運用設 計 BIツール導入で終わらず、データド リブン意思決定の運用習慣まで踏み 込む 「ダッシュボードを作ること」では なく「使う組織能力」を作る。IHI のスキルベルト制度が参考例 KSF4 DX人材を事業部主導で 育成 IT部門に任せず、事業部内にDX人材 を埋め込む。認定制度・キャリアパ スを経営方針と一体化 三菱重工のDI人材認定 (BASIC/ADVANCED/MASTER)、 IHIスキルベルト、川崎重工DX戦略 本部統合

7.4 業界事例 ― 本社・経営機能DXの先進実装

本社・経営機能DXは、重工3社それぞれが独自の重心で進めている領域である。4つのKSFに対応した取 り組みを整理する。

三菱重工 ― 「ITO」と Azure×SAP S/4HANA(KSF1・KSF2・KSF4対応):2023年5月に経理・調達の 2大基幹系をAzure上のSAP S/4HANA HECでカットオーバーした。SAP 2027年問題を「現行業務の乗せ替 え」ではなく業務改革と一体で進める設計思想で実装。さらに2025年には経営方針を「ITO(Innovative Total Optimization)」と再定義し、DI人材認定制度(BASIC・ADVANCED・MASTERの3段階)を本格展 開している。事業部内にDX人材を埋め込む取り組みとして、経営戦略と人材戦略を一体化させた好例で ある。デジタルイノベーション本部長・田崎陽一氏は、標準化を強制せず会計・調達といった非競争領域 に絞って実施し、販売・アフターサービス・IoT・サプライチェーンといった競争領域は事業部の主体性 に委ねる、と語っており、これがKSF2の「線引き」の実装例となっている。

川崎重工 ― DX戦略本部統合とIX(KSF2・KSF3対応):2023年4月に各カンパニーの情シスを本社DX戦 略本部に統合し、データ連携基盤を全社で進める体制を構築した。同社は「DX」を超える次世代キーワ ードとして「IX(インテリジェンス・トランスフォーメーション)」を提唱し、中谷浩副社長がGartner

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ITシンポジウムで講演するなど、戦略を対外的に発信している。本社統合をデータ統合の起点とした点 が、KSF2「非競争領域の標準化を経営権威で貫く」の実装例。

IHI ― Tableau×スキルベルト制度(KSF3・KSF4対応):航空・宇宙・防衛事業領域でBIツール Tableauを導入し、これと「スキルベルト制度」を一体で展開した。BIツール活用人材を段階的に育成 し、データ活用を組織能力として定着させる仕組みである。「ダッシュボードを作るだけ」ではなく「使 う組織能力」を作る、というKSF3の実装として重要な参考例。福岡千枝・常務執行役員(高度情報マネ ジメント統括本部長)が指揮しており、デジタル基盤の高度化と大胆な経営資源シフトを通じた持続的な 成長を方針として掲げている。

7.5 重工業特有の追加条件と、日本企業への含意

ここまでの4つのKSFは、多事業構造の大企業に共通する論点でもある。重工業の場合、これに加えて、 業界固有の制約が複数重なる。

コングロマリットディスカウントへの対応:株式市場は伝統的に、複数事業を抱える重工メーカーに「コ ングロマリットディスカウント」を適用してきた。重工業大手は、幅広い製品・技術群を持つ点を収益性 の観点から否定的に語られることもあったが、近年は各社で事業規模が拡大する主力事業が明確になり つつあり、リソース集中の動きが加速している。本社・経営機能DXは、この事業ポートフォリオ管理の 見直しと並走する。三菱重工の三菱ロジスネクスト売却、IHIの3件の事業譲渡、川崎重工のアーステクニ カ譲渡といった2025年の動きは、データドリブンな経営判断が事業構造変革を加速させている例であ る。

情報保全規制とグローバル展開の両立:防衛・原子力・航空分野のデータは情報保全規制下にあり、グロ ーバル統合データ基盤に乗せられない事業領域がある。本社・経営機能DXの設計時に、「全社統合する 領域」「事業領域内で完結させる領域」「物理的に分離する領域」 の3層を明確に分ける必要がある。三 菱重工が「会計・調達は全社統一、競争領域は事業部主導」と切り分けるのは、この多層構造を業務領 域に投影した結果である。

長期視点の事業承継問題:重工メーカーの本社・経営機能DXは、5〜10年の時間軸で組織能力を変える営 みである。経営トップが変わっても継続する仕組みが必要となる。三菱重工が2024年12月にITO新社長就 任を発表し、2025年に経営方針「ITO」を打ち出したように、新CEOがDXを経営の中核に据える事例が 増えている。ただし、3年ごとに方針が変わるようでは、本社・経営機能DXは前に進まない。長期視点で の組織コミットメントが、ここでも問われる。

そして、Ch.4〜Ch.6と同様にここでも、「DXに着手」と「DXが効く」の距離を直視する必要がある。多 くの重工メーカーが「SAP S/4HANAへの移行を決定した」「データ分析基盤を構築した」「生成AIの試 行を始めた」状態にある。だが、それらが経営判断のスピード向上、事業横断の見通し改善、収益力強 化に結びついているかは別問題である。三菱重工のDI人材認定制度のように、ツール導入の先にある「組 織能力としての定着」まで踏み込めるかが、最終的な成否を分ける。

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08 サプライチェーンDX

「ティア2/3」と「経済安保」を貫く

K E Y F I N D I N G S

重工製品は1製品あたり数百〜数千の事業者が関わる多層サプライチェーンに支えられており、テ ィア1だけでなくティア2/3の把握が不可欠 重工3社のサプライチェーンDXは具体的に動き始めている。三菱重工は2024年9月にグループ共通 の直接材調達システム「eBuyerBrains」を稼働させ、IHIは2024年6月にEcoVadisと契約してサプ ライヤーリスク評価体制を整備した 経済安全保障推進法(2022年)と防衛生産基盤強化法(2023年)により、サプライチェーン強靭化 が法的・財政的枠組みのある政策テーマへと格上げされた。経産省は航空機部品の特定重要物資指 定と744億円の予算で部素材の増産支援に動いている トヨタの「レスキュー」(コロナ禍で供給網把握が2週間→半日に短縮)が業界のベンチマーク サプライチェーンDXの成否は、ティア2/3可視化の平時運用/経済安保・防衛政策の活用/業界仕 様データ連携基盤/中小サプライヤーの事業承継対応の4つの論点をどう設計するかにかかる

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8.1 重工業のサプライチェーン、その独特の難しさ

重工業のサプライチェーンは、製造業全体のなかでも最も広く・深く・複雑 な構造を持っている。航空 エンジン1基、艦艇1隻、ガスタービン1機種、原子力プラント1基──いずれも、数百〜数千の事業者が 関わって初めて完成する。防衛装備庁の今村健一・防衛技官は、この実態を端的に表現している。どのよ うな装備品も、基本的に1社では作れない。たとえば1つの車両が完成するまでには、資源や部品の調 達、製造加工はもちろん、輸送などの役務提供も含めると、民間を含む数万の企業が関わっている可能性 がある、と。

このサプライチェーンには、自動車・電機・半導体とは異なる構造的な難しさが3つある。

第一の特性は、ティア2/3への深い依存である。完成品メーカー(プライム)は、ティア1の主要協力企業 に発注する。ティア1はティア2の専門加工業者に外注し、ティア2はティア3の素材・部品メーカーから 調達する。重工業のティア2/3には、他社では代替できない特殊加工技術を持つ中小企業 が多く含まれ る。鍛造、特殊溶接、精密機械加工、表面処理──いずれも、長年の蓄積と熟練の手仕事に支えられてい る。プライム企業がいくら設備を増強しても、ティア2/3の生産能力が追いつかなければ、最終製品は出 荷できない。

第二の特性は、サプライチェーンの「見えなさ」である。プライム企業は、ティア1までは契約関係があ り、データを把握できる。だが、ティア2/3は契約上の直接の関係がなく、その実態を把握する仕組みが 存在しないことが多い。コロナ禍や半導体不足の際に、多くの製造業が「思わぬところでサプライチェー ンが切れていた」事態に直面したのは、この見えなさの結果である。

第三の特性は、規制要件と経済安全保障の文脈である。防衛・原子力・航空分野のサプライチェーンは、 情報保全規制(セキュリティ・クリアランス、輸出管理)の対象であり、市販の汎用SCMツールでそのま ま管理できない領域がある。加えて、2020年代以降は経済安全保障の文脈で、サプライチェーンの「透 明化」と「強靭化」が国家政策として位置づけられるようになった。

「ティア2/3の実態が見えない」「特殊技術を持つ中小サプライヤーが事業承継問題を抱えている」「い ざという時にサプライチェーンが切れる」──これが、重工業のサプライチェーンDXが解くべき課題の 正体である。

8.2 サプライチェーンDXがもたらす変化の地図

過去5年で、重工業のサプライチェーンDXは3つの大きな変化が同時に進行している。

変化1:ティア1からティア2/3への「可視化範囲の拡張」。業界の先行モデルがトヨタ自動車の「レスキ ュー」で、コロナ禍で供給網把握を従来の2週間から半日へ短縮した。重工業のプライムも、ここ1〜2年 でこの方向に動き始めている。三菱重工は2024年9月にグループ共通の直接材調達・購買管理システムに BIPROGYの「eBuyerBrains」を稼働させ、購入要求・見積・発注・検収のプロセスで蓄積されるデータ をリアルタイムに調達分析・サプライヤー管理に活用する体制を整えた。IHIは2024年6月にサプライチ ェーンに関する第三者評価プラットフォームEcoVadisと契約を締結し、業界横断のリスク評価基盤を活 用する道筋を示した。

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変化2:経済安全保障推進法と防衛生産基盤強化法という政策的後押し。2022年成立の経済安全保障推進 法は航空機部品・船舶部品を「特定重要物資」に指定し、経産省は2024年4月に「サプライチェーン現代 化検討会」を新設、744億円の予算で大型鍛造品・複合材料など部素材の増産・研究開発を支援してい る。2023年成立の防衛生産基盤強化法は、防衛装備品のサプライチェーン強靭化に「供給網強靭化/製 造工程効率化/サイバーセキュリティ強化/事業承継等」の4つの措置を定め、プライム企業のみならず サプライヤーも財政支援の対象となる。これにより、重工3社のサプライチェーンDXは「自社内のIT投 資」から「経産省・防衛省・業界団体と連携した政策的事業」へと位置づけが変わりつつある。

変化3:海外プライム並みの「インテグレーター機能」への要請。経団連が2025年7月の提言で指摘する とおり、日本の防衛装備移転案件の約8割は修理等にとどまる。Lockheed MartinやBAE Systemsのよう な海外プライムは、共通規格・明確な仕様書による調達慣行を確立し、サプライチェーン全体を統括する インテグレーター機能を持っている。日本のプライムが国際競争で同等の機能を発揮するための共通基盤 整備が、足元のサプライチェーンDXの動きとして始まっている。

8.3 重工業のサプライチェーンDXを左右する4つの論点

サプライチェーンDXの成否を分ける論点は4つに集約される(図表8-1)。

KSF1:ティア2/3の可視化を「平時から」進める(有事に慌てて調査するのではなく、日常的に部品・サ プライヤー・拠点・代替供給源を更新する仕組みを運用する。三菱重工eBuyerBrains・IHI EcoVadisが起 点、トヨタ「レスキュー」が業界ベンチマーク)、KSF2:経済安保・防衛政策の戦略的活用(経済安保 推進法・防衛生産基盤強化法を「IT投資の周辺事情」ではなく自社DX戦略の一部に組み込む)、KSF3: 業界仕様データ共有基盤の設計(プライム-サプライヤー間のデータ連携は業界共通仕様で設計しないと サプライヤー側の対応コストが膨らむ。経産省セキュリティ対策評価制度・EcoVadis等を活用)、 KSF4:中小サプライヤーの事業承継対応(可視化された先のサプライヤーが事業継続できなければ意味 がない。事業承継・人材紹介の「面的支援」が必要)。

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図表8-1:サプライチェーンDXの4つのKSF(まとめ) # 論点 具体的な意味 実装の含意 KSF1 ティア2/3の可視化を 「平時から」進める 有事に慌てて調査するのではなく、 日常的に部品・サプライヤー・拠 点・代替供給源を更新する仕組みを 運用 三菱重工eBuyerBrains(2024年9 月)、IHI EcoVadis(2024年6月) が起点。トヨタ「レスキュー」が業 界ベンチマーク KSF2 経済安保・防衛政策の 戦略的活用 経済安保推進法・防衛生産基盤強化 法を「IT投資の周辺事情」ではなく 自社DX戦略の一部に組み込む 航空機部品特定重要物資指定・744 億円予算・サプライチェーン現代化 検討会と連動した投資計画 KSF3 業界仕様データ共有基 盤の設計 プライム-サプライヤー間のデータ 連携は、業界共通仕様で設計しない とサプライヤー側の対応コストが膨 らむ 自社単独ではなく業界エコシステム として整備。経産省セキュリティ対 策評価制度・EcoVadis等の活用 KSF4 中小サプライヤーの事 業承継対応 可視化された先のサプライヤーが事 業継続できなければ意味がない。事 業承継・人材紹介の「面的支援」が 必要 防衛生産基盤強化法の「事業承継 等」措置を活用。プライム企業の伴 走支援が長期競争力を決める

8.4 業界事例 ― サプライチェーンDXの先進実装

サプライチェーンDXは、重工3社が2024年に入って具体的な実装段階に踏み込んだ最新領域である。

三菱重工 eBuyerBrains ― グループ共通の調達基盤(KSF1対応):2024年9月、グループ共通の直接材 調達・購買管理システムにBIPROGYの「eBuyerBrains」を採用し稼働を開始した。従来は事業部ごとに 別々の調達システムが存在し、全社での購買データ分析や調達関連情報の可視化が困難だったが、新基盤 により約300社・約8万人のグループ全体の調達データを一元化した。背景となるコンセプトは「リアル タイム経営の実現/グローバルONEポリシー/コスト低減/ゼロペーパー」の4本柱。Ch.7で論じた本 社・経営機能DXと、本章のサプライチェーンDXが一体的に推進されている代表例である(図表8-2参 照)。

IHI EcoVadis ― 業界横断の第三者評価プラットフォーム(KSF1・KSF3対応):2024年6月、サプライチ ェーンに関する第三者評価プラットフォームEcoVadisと契約を締結。お取引先にEcoVadisのサステナビ リティ評価を受けることを促し、評価上問題がない場合は優良サプライヤーとして管理、懸案があれば特 別な聞き取り調査を実施する運用を構築した。コンプライアンス違反などの公開ニュースが即座にピック アップされ、リスクを抱える取引先に対して迅速な対応が可能となる仕組み。業界横断の第三者評価プラ ットフォームをハブとして使うことで、自社単独では困難な広域のサプライヤー情報を、外部の仕組みに 乗せて把握する道筋を示している。

経産省サプライチェーン現代化検討会(KSF2対応):2024年4月末に新設、日本航空宇宙工業会のほか 三菱重工業、川崎重工業、IHIなどの国内サプライヤーが委員として参加している。経産省は航空機部品 を経済安全保障上の「特定重要物資」に指定し、744億円の予算で大型鍛造品や複合材料など部素材の増

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産・研究開発を支援している。重工3社のサプライチェーンDXは、もはや「自社内のIT投資」ではなく、 「経産省・防衛省・業界団体と連携した政策的事業」へと位置づけが変わりつつあることを示す事例であ る。

トヨタ「レスキュー」 ― 業界ベンチマーク(KSF1対応):自動車業界の先行モデルとして、トヨタは自 社構築したサプライチェーン情報システム「レスキュー」で、国内工場で生産する車両に必要な部品・部 材の品目数、海外を含めた部品メーカーの情報を管理。足元で数十万件のデータを保有しており、コロナ 禍では供給網の状況を把握する時間が、以前は2週間程度かかっていたものが半日程度で済んだという。

ティア1約400社、ティア2の1万社超、ティア3までを含めてWebを介して部品各社の課題や困りごとを聴 取する仕組みを運用している。重工業のプライムが目指すべき到達点を示している。

8.5 重工業特有の追加条件と、日本企業への含意

ここまでの4つのKSFは、サプライチェーン全般に共通する論点でもある。重工業の場合、これに加え て、業界固有の制約が複数重なる。

国際的な完結性の課題:経団連の提言が指摘する通り、日本の防衛装備移転は8割が修理等であり、完成 品の海外移転といった大型案件は極めて限定的である。グローバル市場で本格的に競争するには、サプ ライチェーンを国際取引に耐える仕様 に作り変える必要がある。これは、Ch.7で触れたインテグレータ ー機能とも連動する論点である。

情報保全とデータ共有の両立:防衛・原子力・航空分野のサプライチェーンデータは、情報保全規制下に ある。汎用クラウドSCMでは扱えず、専用回線・国内保管・特定ベンダー認定といった制約下で、サプラ イヤーと安全にデータを共有する基盤を構築する必要がある。経済産業省のセキュリティ対策評価制度 (★3/★4/★5の段階制度)の動向を踏まえた設計が求められる。

生成AIの組み込み:サプライチェーンDXに蓄積されるデータ(サプライヤー情報、契約条件、品質履 歴、納期実績、リスク情報)は、生成AIの分析対象として有望である。サプライヤーリスクの早期検知、 調達計画の最適化、代替供給源の探索──これらの領域で、生成AIを補助ツールとして組み込む実装が、 ここから先5年で本格化する。三菱重工のeBuyerBrains、IHIのEcoVadisといった既存基盤に蓄積された データが、その学習材料となる。

そして、Ch.4〜Ch.7と同様にここでも、「DXに着手」と「DXが効く」の距離 を直視する必要がある。重 工3社は、サプライチェーンDXの基盤整備にこの1〜2年で本格的に踏み込んだ段階である。三菱重工の eBuyerBrainsの稼働が2024年9月、IHIのEcoVadis契約が2024年6月、経産省のサプライチェーン現代化 検討会の初会合が2024年4月末──いずれも、まだ実装の初期段階にある。これらがティア2/3まで含め た実効的な強靭化、有事の対応力向上、国際競争力強化 に結びつくのは、ここから先5〜10年の取り組み の積み重ねの結果として現れる。

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09 結論・戦略示唆

重工業のDXは、いま何を選ぶべきか

K E Y F I N D I N G S

重工業のDXは、本書がCh.4〜Ch.8で示した5領域すべてを一気に進めようとすると、ほぼ確実に失 敗する。自社の競争力源泉と最弱点に応じた「効きどころ」の選択が、すべての出発点となる 重工3社(三菱重工・川崎重工・IHI)はそれぞれ独自のアプローチで先頭集団を形成しており、そ のスピードは2024年〜2025年で一段加速している。「DXに着手」から「DXが効く」への移行が、 ここから5年の最大の論点となる 経営層が下すべき意思決定は、標準化と個別最適化の線引き/投資の時間軸(3年KPIと10年組織 変革の二重評価)/DX人材を事業部主導で育てる組織設計 の3点に集約される 事業部・現場のレベルでは、現場主導の小さなDXから始めること、現場にしかないナレッジを形式 知化していくこと が、結果的に最も早く成果に結びつく 自社単独で全領域をカバーする必要はない。外部パートナー(コンサル、AI伴走、システム開発) との分業を前提に、「自社にしかできない領域」を見極めることが、限られた経営資源を最大化す る

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9.1 ここまでの議論の統合 ― 重工業DXの本質的論点

本書はCh.1で重工業を取り巻く三重の圧力(顧客・自社・競合)を、Ch.2で業界の構造的特徴(一品も の・MRO・巨大BOM・熟練技能・サプライチェーン)を整理し、Ch.3で5領域からなるDX全体像を提示 した。Ch.4〜Ch.8で各領域を順に深掘りし、それぞれに4つのKSFを示してきた。

これらを束ねたとき、重工業のDXに共通する4つの本質的論点 が浮かび上がる。

論点1:「DXに着手」と「DXが効く」の距離 5つの領域すべてで、同じ構造が繰り返し現れた。多くの重工メーカーは、設計DXに3D CADやPLMを導 入し、製造現場DXに動画マニュアルやAI外観検査を試行し、アフターサービスDXに遠隔監視を始め、本 社DXにSAP S/4HANAやBIツールを入れ、サプライチェーンDXに調達基盤を刷新した。いずれも「着手済 み」の状態にある。だが、これらが事業成果に結びついているか は別問題である。

中小企業白書2025が示すように、日本の製造業全体ではDX着手企業が88%に達した一方、競争力強化に 踏み込めているのはわずか3%にとどまる。重工業も、この乖離の中にいる。三菱重工パワーのTOMONI HUBが10年以上の積み重ねを経てようやく年間数億円規模の経済価値を生み始めたという事実は、「DX が効く」までに必要な時間軸を示している。

論点2:競争領域と非競争領域の「線引き」 5領域を横断する最重要の論点が、競争領域と非競争領域の切り分けである。三菱重工の田崎陽一・デジ タルイノベーション本部長が「標準化は強制せず、会計や調達といった非競争領域に絞って実施する。販 売・アフターサービス・IoT・サプライチェーンといった競争領域は事業部の主体性に委ねる」と述べる 設計思想は、重工業のDX設計の現実解である。

一律のERPで全社を縛ろうとすると、競争領域の現場が「業務に合わない」と反発し、プロジェクトは頓 挫する。逆に、非競争領域でも各事業部の自由を残せば、データの一元化は永遠に実現しない。メリハリ の設計 が、5領域すべてで問われる。

論点3:技術と組織能力の同時整備 5領域すべてで、ツール導入だけでは成果が出ないことが繰り返し確認された。設計DXのKSF1「ツール 導入ではなく業務プロセス変革とセットで進める」、製造現場DXのKSF4「暗黙知を個人の動きから組織 知へ二段階で変換する」、本社DXのKSF3「ダッシュボードを作るだけでは終わらない」、アフターサー ビスDXのKSF3「顧客との長期信頼関係をデータ共有の前提として設計する」──いずれも、技術と組織 能力を同時に整備する ことの重要性を指している。

三菱重工が2025年に経営方針を「ITO(Innovative Total Optimization)」と再定義し、DI人材認定制度 を本格展開したのも、IHIがTableauと「スキルベルト制度」を一体で展開しているのも、川崎重工が 2023年4月にDX戦略本部を本社統合したのも、いずれも「技術と組織能力の同時整備」 という同じ問題 意識からの取り組みである。

論点4:政策・業界エコシステムとの連動 特にCh.8で明確になったのが、重工業のDXは業界エコシステムと政策的枠組みとの連動 なしには進まな い、という事実である。経済安全保障推進法、防衛生産基盤強化法、経産省のサプライチェーン現代化検

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討会、経産省のセキュリティ対策評価制度──これらは、もはや「自社のIT投資の周辺事情」ではなく、 自社のDX戦略そのものの一部 として組み込むべき要素となった。

これは設計DXの業界仕様データ連結、製造現場DXの規制対応、アフターサービスDXの情報保全要件にも 通じる。重工業のDXは、自社単独では完結できない領域である。

これら4つの本質的論点を踏まえたうえで、重工メーカーは何を意思決定し、何から着手すべきか。次節 で、5つのアクションプレイブックを提示する。

9.2 重工メーカーが起こすべき5つのアクション

ここで提示するのは、重工メーカーの経営層・事業部門・現場が、それぞれの立場から取り組むべきアク ションを5つに整理したプレイブックである(図表9-2)。「全部やる」必要はなく、自社の現在地と競 争戦略に応じて、優先順位を付けて取り組むべきものである。

アクション1:5領域から自社の「効きどころ」を選び、3年計画で焦点化する。本書が示した5領域(設 計DX・製造現場DX・アフターサービスDX・本社/経営機能DX・サプライチェーンDX)のうち、自社の競 争力源泉と最弱点に応じた優先順位を経営として明示する。重工3社の実例を見ると、それぞれが異なる 重心を選んでいることが見て取れる。三菱重工はΣSynXを軸に5領域を横串で貫く設計を志向しつつ、本 社・経営機能DXに強いコミットメントを置く。IHIはアフターサービスDXを事業構造変革と連動させ、 「モノ売りからコト売りへ」の旗印として位置づけている。川崎重工はIX(インテリジェンス・トランス フォーメーション)という次世代キーワードを掲げ、本社統合を起点にデータ統合を進める。3社のアプ ローチが異なることは、「正解は一つではない」ことを示している。

アクション2:標準化と個別最適化の「線引き」を経営判断で示す。競争領域と非競争領域を経営の権威 で線引きする。各事業部から「うちは特殊」と言われても、会計・調達・人事・基本IT基盤といった非競 争領域は全社標準化を貫く。一方、販売・アフターサービス・現場改善・サプライチェーンといった競争 領域では事業部の主体性を最大限尊重する。この線引きを曖昧にすると、ERP刷新は「アドオン大量追加 プロジェクト」に堕する。三菱重工がeBuyerBrainsをグループ共通の直接材調達基盤として導入し、 Azure×SAP S/4HANAを全社の基幹システムとして刷新しつつ、競争領域は事業部主導に委ねているの は、この線引きの実装例である。

アクション3:DX人材を「事業部内」で育てる。DX人材育成をIT部門の責任で完結させず、事業部門と本 社の協働プロジェクトとして、認定制度・キャリアパスを設計する。3社の取り組みはいずれもこの方向 を向いている。三菱重工のDI人材認定制度(BASIC・ADVANCED・MASTERの3段階)、IHIのスキルベル ト制度、川崎重工がDX戦略本部に各カンパニーの情シスを集約しつつ人材還流をキャリアパスに組み込 んでいる動きは、いずれも「IT部門に依頼書を出して半年待つ」発想を脱し、現場で言語化し、現場で改 善ツールを作る習慣を育てる組織設計である。

アクション4:現場主導の「小さなDX」から始める。いきなり全社規模・数十億円規模の統合プロジェク トを立ち上げるのではなく、1工場・1部門・1工程単位の小さな成功体験を複数積み重ね、横展開のテン プレートに育てる戦略を採る。三菱重工がkintone内製化を52部門・3,000人規模に育てたのも、川崎重 工がKMC明石工場のAI外観検査をエンジン組立→溶接ビード→外観キズと段階展開し、メキシコ・タイ へ横展開しているのも、いずれも「小さく始めて広げる」順序を取っている。取り組むべきパターンに は、現場の業務改善アプリの内製化、動画マニュアル・AR/MR作業支援、AI外観検査、現場にしかないナ

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レッジの形式知化がある。製造業に携わる人口が20年で約100万人減少した現実を踏まえれば、「いつか やる」では間に合わない。

アクション5:政策枠組みと外部パートナーを「戦略的に使い倒す」。自社単独で全領域をカバーする必 要はない。経済安全保障推進法、防衛生産基盤強化法といった政策枠組みは、サプライチェーンDX投資 に国の財政支援が組み込まれた政策的枠組みを初めて整備した。航空機部品の特定重要物資指定、744億 円の予算、計画事業費17.2兆円→43.5兆円への増額──これらは自社のDX戦略の一部として位置づけ直 すべき要素である。外部パートナーとの分業も避けて通れず、論点ごとに外部の知見を借りる場面を作 る:DXコンサル(5領域の優先順位設計、組織変革プログラムの設計)、AI伴走支援(暗黙知デジタル 化、生成AIの業務組み込み)、システム開発(基幹システム刷新、データ連携基盤)。重要なのは、外部 パートナーに「丸投げ」しないこと。スコープも現実的に設定し、5,000万円規模・1工場or1部門レベル から始めるのが現実的である。小さく始めて成功体験を横展開する──この順序こそが、重工業のような 巨大組織のDXを前に進める。

図表9-2:重工メーカーが起こすべき5つのアクション(まとめ) # アクション 経営層が下すべき決定 事業部・現場の動き方 1 5領域から「効きどこ ろ」を選び、3年計画 で焦点化する 自社の競争力源泉と最弱点に応じた優 先順位を経営として明示。「全部や る」を捨てる 経営の優先順位枠内で、1工場・1部門 レベルから具体的な実装を始める 2 標準化と個別最適化 の「線引き」を経営 判断で示す 非競争領域は経営の権威で標準化、競 争領域は事業部の主体性を尊重するメ リハリを設計 自部門の業務を「他と同じで構わない もの」と「自部門の競争力」に区別す る自己認識を持つ 3 DX人材を「事業部 内」で育てる IT部門に任せず、事業部門と本社の協 働で認定制度・キャリアパスを設計。

経営方針と一体化 「IT部門に依頼書を出して半年待つ」 発想を脱し、現場で言語化・現場で改 善する習慣を育てる 4 現場主導の「小さな DX」から始める 全社統合プロジェクトではなく、1工 場・1部門・1工程単位の成功体験を横 展開のテンプレートに育てる 業務改善アプリ内製化/動画マニュア ル/AI外観検査/現場ナレッジ形式知 化の4パターンを試す 5 政策枠組みと外部パ ートナーを「戦略的 に使い倒す」 自社単独で全領域を抱え込まず、政策 支援・コンサル・AI伴走・システム開 発との分業を前提に設計 自部門の業務課題を、外部パートナー に「言語化して伝えられる」状態に整 える

9.3 「DXに着手」と「DXが効く」の距離を埋めるために

ここまでの議論を通じて繰り返し現れた論点が、「DXに着手」と「DXが効く」の距離である。本書を締 めくくるにあたって、この距離を埋めるための3つの視座を提示しておきたい。

第一に、評価軸を二重化する。重工業のDXは、5〜10年の時間軸で組織能力を変える営みである。3年で 結果を出す短期評価軸(稼働率改善、計画外停止削減、リードタイム短縮等の具体的KPI)と、10年で組 織変革を測る長期評価軸(DX人材数、データドリブン意思決定の浸透度、新規事業モデルの立ち上げ

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等)を、二重で持つ。短期評価だけで判断すると、地道な基盤整備が打ち切られる。長期評価だけで判断 すると、現場の改善モチベーションが続かない。

第二に、経営トップの長期コミットメントを確保する。経営トップが3年で変わり、その都度方針が変わ るようでは、本社・経営機能DXもアフターサービスDXも前に進まない。三菱重工が2024年12月に伊藤栄 作新社長を発表し、2025年に経営方針「ITO」を打ち出したように、CEO人事とDX戦略を一体で設計す る動きが重要である。

第三に、海外プライムとの距離を冷静に見る。Boeing、Airbus、Rolls-Royce、Lockheed Martinといっ た海外プライムは、デジタルスレッド、生成AI、Power-by-the-Hour、インテグレーター機能などの領域 で、数年単位の実装経験を蓄積している。日本の重工メーカーが海外プライムと長期協業を組んでいくう えで、「DXの進捗」は契約交渉のテーブルに乗る評価項目になりつつある。逆に言えば、ここで遅れる ことは、グローバル競争での発言力低下に直結する。

ものづくり白書2025がDXを「効率化の道具ではなく、企業変革のエンジンとして捉えるべき」と位置づ けたのは、こうした文脈の上でのことだ。重工業のDXは、もはや「経費削減のためのIT投資」ではな く、事業を続けるため、事業を変えるための経営戦略の中核 に位置づけられるべきテーマとなってい る。

【本書の主要参考資料】 三菱重工業:BE:YOND 2025セッションレポート(田崎陽一氏講演)、DX銘柄2025選定、 Azure×SAP S/4HANA導入事例、TOMONI HUB/TOMONI実装事例(三菱重工技報)、kintone内製 化(山本浩道氏)、eBuyerBrains導入(2024年10月) 川崎重工業:Kawasaki Report 2025、Gartner ITシンポジウム講演(中谷浩氏)、KMC明石工場のAI 外観検査(川崎重工技報) IHI:統合報告書2024・2025、福岡千枝氏(高度情報マネジメント統括本部長)、ILIPS、EcoVadis契 約(2024年6月)、航空エンジンMRO検討会 政府資料:ものづくり白書2025、通商白書2025、中小企業白書2025、IPA「DX動向2025」、内閣府 サプライチェーン強靱化資料、経産省サプライチェーン現代化検討会、防衛装備庁「防衛生産基盤強 化法」(今村健一氏インタビュー含む)、経団連「わが国の防衛装備移転のあり方に関する提言」 (2025年7月) 海外プライム:Boeing(生成AI 70以上アプリ、デジタルツイン)、Airbus(bionic partition)、 Rolls-Royce(TotalCare、EHM)、GE(Predix失敗事例) 他業種参照事例:トヨタ「レスキュー」、横河電機(IT×OTデータレイク)、ファーストリテイリン グ、デンソー、tebiki、明和工業

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